経営学部

黒尽くめ

2014.06.16

映画のプロデューサーを専任で行っていた頃は、全身黒尽くめの風体だった。
「遠くからでも公野さんだとすぐわかる」と言われ、後で聞く目撃談も多かった。そんな黒尽くめの理由なのだが、実はいくつかある。
①現実的な理由
②流派
③好きだったもの
という感じだろうか。

①はカンタン。
コーディネートの必要が無いこと。上着とシャツ、ズボン等、色が違うと配色に気をつけなければならなくなる。これがけっこう面倒だ。けれどもいつも単色ならそんなことに悩む必要はない。買う時も悩む必要はない。それだけ。

②。
制作現場出身者はいずれも流派というか、特定の制作集団で学んで、その徒弟制度の中で育つ者が多かった。私もそうである。元々は映画会社の撮影所にいくつかの源流がある。ものすごく大雑把にいうと、今なら東宝流・東映流・松竹流・日活流くらいがかろうじて残っている感じ。それぞれがたくさんに分化し、プロダクションやプロデューサー、監督に連なっている。新劇のシステムをTVへ移植したNHKの制作モードを除けば、民放各社もいずれかのモードが源流になるだろう。
私の演出の師匠は石橋冠さんだ。『池中玄太80キロ』や『新宿鮫』、倉本聡作品等、幅広い作品性でNTVのドラマ黄金期を支えたテレビドラマ界の重鎮である。テレビ局の青田買いセミナーで三週間ほど御世話になったのがきっかけである。セミナーでは彼がテレビ演出家になった経緯や、具体的な演出技法、シナリオにおけるドラマツルギーの創出方法等を学んだ。いわゆる演出理論である。それが縁となり、その後、大学院在学時に日本テレビのドラマ班で助監督をやらせて頂くことになった。
その冠さんがいつも黒尽くめだった。冠さんは東宝の名匠・岡本喜八監督に師事し、監督邸で書生をされていたという。その時にいろいろな事を学んだらしい。
冠さんの作品初演出前夜のことだそうである。監督の部屋に「何か初陣に際して御言葉を」と教えを請いに行ったという。その時、監督より「演出家が現場に臨むに際し、重要なことは三つある」と言われたと言う。

ひとつ。必ず新しいことをひとつ行え。
ふたつ。現場では監督は絶対に悩むな。
みっつ。現場では大きな声で指示を出せ。

最初の言葉は監督の作品を観るに、なるほどと思わされる。東宝のもうひとりの天才・黒澤明を向こうに回し、どちらかと言うとA級大作(本来的に番組編成された、収益のための映画作品群)と言うよりも、Bライン(通期予算のキャッチアップだったり、企画・スタッフ発掘のためだったり、穴埋めのための編成作品群)から発してきた、変化球投手の印象の強い監督。予算も制限された中では、脚本上も演出上もアイデアが必要だ。岡本喜八の作品はいずれも“一発アイデア前提”の技巧系作品も多く、その点からも鬼才と称されている。それに倣ったのか、冠さんもいろいろな“初”に挑戦している。当時、スタジオ内でしか使用されていなかったビデオキャメラをロケーションに持ち出す(当時は巨大で重量も相当だった)、すべてのカットを望遠で撮る、タイトルテキストを長くしてみる――等々。これは確かに“喜八イズム”だ。

ふたつめ。これは現場経験者なら誰もが納得がいく。現場の責任者が悩めば、スタッフは皆不安になる。なかなか難しいことではあるが、“確信を持っている風”でどっしりと真ん中に座り、スタッフを安心させてコトを進めるのは、監督にとってとても重要なことなのだ。

みっつめ。
監督はふたつめを冠さんに話した後、しばらく考え込んだらしい。みっつめを思いつかなかったのかもしれない(ちなみに冠さんは、ヒトに説明するときは“ポイントは三つある”と必ず言うこと、とも言っていた。思いつかなくても“三つ”と言い、話しながら考えろと言っていたのを思い出した)。暫く経って、ようやくこう話されたとのことだ。しかしこれもまた演出者としては、現場の運行リーダーとしては、最も重要なことだ。
どういうことか?
つまり、その空間を支配するのは誰か?ということだ。会議やスポーツ、集団作業時にはその群れを率いる力が必要だ。
撮影現場にはいろいろな力学が作用する。有名俳優や大プロダクションのマネージャー、ベテランのキャメラマン、交渉して撮影現場を仕立てる製作担当――皆、自分の業務がうまくいくように“カマし”合って聞き訳が無く、そうしてその限定された空間と時間の支配力を持とうと競ってくる。監督としてはそれらを御し、自分の作品を撮り上げる事に貢献させるのが命題でなければならない。それら暴れ馬スタッフをグリップするため――戦場のような制作現場を支配するためには、大きな声が必要なのだ。『責任者はオレだ』――そう宣言しながら作品を撮るために、である。そう言えば喜八監督は、現場でも“座らない監督”として有名だった。いつも走り回り、いろいろなパートに指示を出していたのだろう。冠さんも御一緒させて頂いた現場では、プロデューサーにも関わらず走り回られていたのを思い出す。

こんな情報量だけではない、冠さんからはたくさんのことを学ばせてもらった。当時、付き合っていた彼女と一緒に麻布の御自宅に押し掛けたこともあったが、笑顔で迎えてくれたことを思い出す。今でも“演出”という意味で、あの時代ほど様々なことを脳内にインストールした時代は無いと思う。
間違いなく私の演出の師匠である。
生前の岡本監督に会った――見かけたことがある。歌舞伎町を歩かれていた監督にスレ違っただけなのだが、『あれ――岡本喜八監督だ!? 真っ黒だ』と思ったことを鮮烈に覚えている。「汚れが目立たない」という理由でいつも黒衣で過ごされていたそうだ。お弟子さんである冠さんも、その流派継承者としていつも真っ黒だ。
故に私も冠さんを敬い、一派を形成する意味で黒い装束なのである。

③。
映像の原体験、というのがある。誰しもあるだろう。“初めて観た映像コンテンツ”の記憶である。
私の場合は白黒動画のアニメーション『鉄人28号』(一九六三)である。現在のエイケンが作った、戦後でもかなり初期に当たる作品だ。私の生まれる前の作品なので、おそらくは夕方の再放送の時間帯に観たのだと思う。その物語には、大日本帝国の軍事技術で作られた人型兵器・鉄人28号が登場するのだが、鉄人は主人公ロボットとしてそれはもうめっぽう強かった。少年探偵・金田正太郎くんが操縦機を使って鉄人を操り、悪の巨大ロボット等が絡む不思議な事件を解決する。子どもたちは皆、鉄人が大好きだった。ある時、そんな無敵の鉄人の前に、まったく歯の立たない相手が現れた――それがブラックオックスだった。漆黒の巨大ロボット。何故か鉄人はオックスに近づくと力を失ってしまう。今でいうジャミング機能で操縦電波を妨害する能力を持ち、鉄人に匹敵する強力な体躯を持つオックス。鉄人はついにオックスに勝てなかった。私はその結末に『えーっ!? 鉄人勝てないの!?』と衝撃を受けたのだ。そんな子ども番組は初めてだった(と思う)。『オックス、ヤなやつだなあ!』と、友だち連中の中にいる、ケンカで勝てない奴に抱いてしまう負け犬の気持ちのような、憤懣やるかたない幼心でいたのである。
ところがである。ある時、また別の敵に鉄人が手こずっていた時の事。正太郎くんだったか、大塚署長だったかがオックスの事を思い出すのである。「そう言えばオックスは!?」「警視庁の倉庫に眠ってるぞ!(確かそんなセリフ)」等と言う会話の後、普段は鉄人のメンテナンスをやっているはずの敷島博士がカマボコ型トレーラーに載せたオックスを現場まで運んできた。

これが強い! 頼もしい! 今まで最大の敵だったオックスがなんとも嬉しい、鉄人のパートナーとなったのである。『北斗の拳』の武論尊先生の『強敵と書いて“友”と呼ぶ』というやつである。この事が私の最初の「映像ショック」だった。それ以来(たぶん三歳くらい)、私はオックスの虜である。二〇年くらい前に実写映画版の『鉄人28號』と言う企画を立て、脚本とデザインまで作ったのだが、単にオックスの雄姿を見たかった故なのかも知れない。

もうことつ、私が愛読し続けている作品がある。獣木野生氏の“PALM”シリーズ。物語の解説をすると長くなるので詳細は省くが、この作品に私は人生を学んだ。最初に読んだのが一二歳の時であるから、三十五年間も私の生き方の指針となっている劇画である。その敬愛する主人公が、また黒衣なのだ。

以上が私、公野の黒尽くめの(多い)理由である。
ちなみに最近多かった青いシャツには特に意味は無い。大学勤務が増えてきた折りに「講師らしくしないと」と考え、量販店で白シャツを大量購入しようとした時に売り切れていて、もう一度来店するのがメンドくさく、代わりにあった青シャツを買っただけである(もちろん青は好きな色なのだが)。