経営学部

希人伝 その一.【浜野先生のこと】

2014.02.03

東京大学大学院情報学環にコンテンツ創造科学産学連携教育プログラムがあった2005年頃、講師として御声掛け下さったのが浜野先生だ。礼を尽くして頂いて特任准教授として迎えて下さった。
浜野先生とは以前、経済産業省の放送技術審議会で私が世界で最初に全編をHD-camで撮影をした映画プロデューサーとして招聘された時に出会っていた。こう書いてしまうと得意げにも読めてしまうが、保守的なフィルム映画業界の中で、これはリノベーションではなく産業構造破壊の暴挙だと捉えられていて、実は当時はとても苦労していた。もともとはジョージ・ルーカスとSONYが開発したものだったが、インフラ更新を前提とする新技術の登場に、配給・興行を始めとする既存団体は恐怖心を持っていた(ルーカス自身も全編撮影は控えていた)。その集団の中に突如、呼び出しを受けたのである。
若さもあったが、そのメリットの方が高いという自信もあった。多少の喧嘩も覚悟で会議に臨む。
会議の冒頭、私が件の反逆プロデューサー(?)と知った浜野先生がツカツカと近づいてきた。思わず身構えた私に先生は笑顔でこう言ったのだった。
「あれ(HD-camのこと)、青色キレイだよね!」
一瞬、何のことたか解らない私に先生は続ける。
「あれだけ青がクリアだと合成し易いよね、ずいぶんコスト圧縮になるでしょ? うん」
ようやくそれがHD-camのことだと解った。浜野先生は特撮合成というか、デジタルのコンポジット処理の事を言っておられた。デジタルの合成では、ブルーやグリーンの部分をデジタル的に選択、マスク処理して、別々に撮影したものを合成する技法がある。HD-camはその点にプライオリティがある、と見抜いておられたのだ。HD-camは現在ではほとんどすべての映画撮影チームが使用するようになった。もちろんDigital to Digitalである事の技術的優位性のみならず、配給においても今では当たり前のデータ配給等、フィルムでは問題となっていた重量と運送費の問題、劣化に対する保存管理費用、さらにDVDパッケージ等の商品化原価の点で大規模な圧縮を実現している。HD-camは現場とビジネスの両方に貢献する技術だった。しかし、当時はそれを口にすると既得権益者を刺激する事にもなり、立場のある人ほどこの問題に対して口をつぐんでいた。作品の上映に際しては私もずいぶんと圧力を受けた。それを先生は明け透けに発言し、あまつさえ褒めて下さったのだ。
その新しい技術や知識に対する意欲や分析力に驚いた。また一方で権威の集団の議長的立場にあって、得体のしれない技術を使う新人に遠慮なく話しかける、気さくな人柄にも驚かされた。
御蔭で場は和み、スムーズに新技術の実地成果を報告することが出来たことを覚えている。
その時の事を覚えておられたのだろう。
「コンテンツの人材育成に技術とビジネスの両方が必要だ」と言う事で私を思い出して下さり、教育プログラムに呼んでくれたのだ。私は先生の課目後任として映画産業論を御引き受けした。
プログラム参加以降はさらに縁が深くなった。まだきちんと立ち上げられてはいないが「コンテンツ・プロデューサー協会・学会」を提唱下さり、実業と学術の架け橋を意識し始めた私には、とても心強い存在だった。
研究室にぶらりと遊びに行くと、思わず「なんで先生がそれ持ってるんですか!?」と言ってしまうような、ここには書けない色々な珍しい資料を見せてくれたり、若い時分に交流したという巨匠たちの、やはり書けないような話をたくさん聞かせて頂いた。本当に楽しかった。
興味のある方は是非、先生の著作を読んで頂きたい。いずれも時代には早い、慧眼とも言える先駆的な捉え方や論証が、実証的に語られているものが多いのが特徴である。
黒澤明監督や小津安二郎監督の研究者として本も出されているが、黒澤組や木下恵介監督組にも現場スタッフとして参加されている。本当に実証的な方だ。また私の読んだ処、キューブリックについての研究本が数ある中で、きちんと技術面からアプローチした内容となっているのは先生のものだけだと思う。作品論からだけではなく、その時代における技術論を「まったく新しいものを創出している」と、きちんと評価している。新しいものに優しく、理解をし、育てようとするのが研究者・浜野保樹なのだ。
そんな浜野先生が亡くなった。
二〇一四年になったばかりの一月三日、六十二歳だった。
欺瞞と権威と似非、独り占めと新人いじめの多いコンテンツ産業界にあって、実に真摯に、新しいものを見つけると声を大きくして皆に報せる、風に吹き飛ばされそうな芽を手で覆い、そっと水をくれる――そんな方だった。
先生に感謝しているクリエイターや研究者は数えられないほどだ。
この国のコンテンツ政策も速度を落としてしまう可能性が高い。
そうならないようにしなければと思う。
黙祷。